●内蔵助の名前の由来
内蔵助山荘がある辺りにある『 内蔵助(くらのすけ)』を使った場所
内蔵助雪渓、内蔵助平、内蔵助出会い…
富山武将の佐々成政(通称は内蔵助)の名前からという説があります。
約400年前の厳寒の北アルプスを踏破したという「さらさら超え」。ザラ峠を通った説が有力ですが
他に通ったルートについて様々な説があります。その一つに内蔵助平を通ったという説があります。
(私はこの説が本当と信じています!)その時に名前がついたのでしょうか?
これはもっと真剣に詳しく調べていきたいと思います。
佐々成政についてもう一つある有名なお話「埋蔵金」。これは鍬崎山にあるとなっていますが、これもまた内蔵助平にあるのでは
という説もあるのです。そう、こちらも私は内蔵助平説を信じています。
信じるか信じないかはあなた次第です!(笑)
〜内蔵助山荘うちわの話〜
①80-90年代の内蔵助のアルバイトさんの歩荷スタイルは白い綿Tシャツにジャージズボンに「黒長靴」、腕には黄色の内蔵助山荘腕章でした。そしてそのスタイルで剱岳に登っていました。黒長靴姿を見て『おっ!内蔵助のバイトだな』と言われるぐらいだったそうです。
②お客さんの夕食で残り物ひとつなく食器が返却されてきた次の日はなぜか天気の良い事が多い。ご飯の残り物が多い日は残念な天気の日が多い。なのでご飯は食べれるだけ各自で入れてもらうことにしました。それからは残り物も減り、お天気も・・・になったような…